芸術家 エイナル・ネルマン

EINAR NERMAN 1888〜1983 エイナル・ネルマン

エイナル・ネルマンは、画家イラストレーターでありダンサーであり、常にアカデミックな世界に背を向け、自分の想い描くストーリーに沿って生きた芸術家でした。

スウェーデン中東部の街ノルシェーピング(Norrköping)に1888年に生まれ、地元のギムナジウムを中退し、ストックホルムの芸術アカデミー(Svenska Konstnärsförbundet)に席を置き、二十歳の頃(1908年)パリに向いアンリ・マティスに師事し絵画を学び、4年後にはスウェーデンに戻り演劇学校で音楽とダンスを習得。イラストレーターとして活動しながらも1919年以降、バレエダンサーとしてロンドン・コロシアムで様々な作品に出演しました。

ネルマンが画家として国際的に知名度を高めたのは、第二次世界大戦中、妻子ともどもニューヨーク市に移住し、ニューヨーク・ジャーナル・アメリカン紙に雇われての事。ジョーン・クロフォードやアルフレッド・ヒッチコック、スウェーデン出身のハリウッド女優グレタ・ガルボやイングリッド・バーグマンの知遇を得て描いた風刺画によってでした。グレダ・ガルボ生誕100年にあたる2005年にはネルマンの描いたポートレイトが切手にもなりました。

華やかな舞台を生きたエイナル・ネルマンでしたが、一方では、3人の子どもの父として日々の暮らしに寄り添う美しい「夢」の世界も大切にしました。アンデルセンの「おやゆび姫」を始めとする絵本や北欧おとぎ話集への挿絵の提供。子ども向け絵本や児童書の創作出版も生涯を通じて精力的に行いました。
アールデコのニュアンスを纏いつつ、ほっこりとした愛らしいキャラクターが登場するネイマンの絵の世界は、今も多くのファンを惹きつけてやみません。

スウェーデンでは、ソールスティッカン財団のマッチ箱のデザインが有名。箱を飾っている男の子のモデルはネルマンの息子トム、当時2才。1936年から70年以上も同じデザインで製造され国内でもっとも知られたシンボルとなっています。
1950年、以前から定住の地と決めていたストックホルム近郊の島リディンゲ(Lidingö)に落ち着き、1983年3月に亡くなりました。